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コーリング

 ですから、私達が通常考えている宗教性というのは、宗教の教義でもなければ、儀式でもなければ、教団に入る事でのなく、それは私達の究極的な生き方、どういう生きるかという問題に答えるものが、本来の宗教であるんだという考えです。でも大体、そうなっていないです。何か宗教教団に入る事が、宗教という風に,通常は考えがちです。これはしっかり頭に置いといてください。そうすると、後でこの事が理解しやすくなりますからね。その流れの中で、祈りを僕は問題にしようとしている訳ですね。

 聖書の言葉の中で、例えば、富める青年が一人、イエスのところにやって来て、永遠の命を得るにはどうしたらよいかと聞くんですね。その前に、「良き師よ」と青年が言うんです。そうするとイエスが直ちに反問するんですね。「何故私を師と呼ぶのか。良き方はただ一人、神のみである。あなたは十戒を守っているか。諌めを守っているか」と聞く訳です。そうすると「守っている」そうするとイエスは、「汝、なお一つかくるものあり」と言うわけです。青年は自分はちゃんと守ってきた、殺すなかれ、姦淫するなかれ、騙すなかれと。それに対するイエスの呼びかけた事は、「汝の持てるものをことごとく捨てて、我に従え」という訳です。あれも、これもというのは宗教的生き方ではないんですね。転ばぬ先の杖ではなくて、ただ一つの事に賭けて、全部を捨てると言う考え方です。だから逆に言うと、救いになるんですね。
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【2022/06/13 16:11】 | イエス学とは | page top↑
康麿先生の埋葬
2022年5月2日
無事に康麿先生の埋葬を終えることができました。
場所は、
川崎市 清風霊園
神奈川県川崎市麻生区片平1515-1
清風園
区画 2-5

【2022/05/19 17:09】 | イエス学とは | page top↑
宗教と科学

 関わり方が部分的でなくて、全部を用いてと言う事ですね。

 ですから、これを分かりやすい言葉で言うと、聖書の言葉の中に関わり方の典型が出ていますから。当時、どの掟を守ったらよいのかと、掟も沢山になっちゃうんですね。

 ユダヤ教の場合は、安息日には働いてならない。でも子供が井戸に落ちた。

 その場合、子供を助けるのは、安息日の掟に反するのか否かと、やっていくとキリがないんですね。当てはまらない事が沢山出てきて、困る訳ですね。

 そこでユダヤ教のラビという、立法学者が、イエスに聞いたという事になっていて、実際上、これがイエスが本当に言ったかどうかについては、聖書学者によってまちまちなんですけれど。この立法の中で最大の諌めは何なのかと聞くんです。

 そうするとイエスが答えるには、汝、あなたはあなたの神なる主に向かって。そこから後が有名なんですね。

 心を尽くし、誠心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして汝の神を愛せよ、と言うんですね。これが最大の諌めなんだと。

 そしてこの事は同時に、己を愛するように、隣人を愛しなさい。これが全てである。

 これはイエスの言葉として伝承されてきます。

 その時の、心を尽くし、まず誠心を尽くすと言うのは理性ですから、要するに理性を使う訳です。思いを尽くすというのは、感情だと言ってよいと思います。理性を用い、感情を用い、力というのは意思力です。

 意志を用い、そして心と言うのは全てをまとめるものとして、当時は考えられていたんですね。だから言い換えれば、全てを挙げて、全人格的に関わりなさい。

 こちらだけ取っておいて、部分的に使うとか、感情だけとかと言う風に分かれる前の事になる訳です。

 理性だけとか、感情だけと言うのではなくて、全人格を挙げて、尽くして、その対象と関わりなさい。

 ですから、それを全人格的な関わり。セルフ・カウンセリングで言えば、自然的身体とか、社会的個人とか、文化的誠心とか、それを超える超越的実存と言うんですけれど、その全てが全人格なんですね。

 そういう人格的な関わりと言う事が、本来の宗教学者が定義として持ち出してきているのは、そういうことですね。それを究極的な関わり方。つまりかけがえがないと言っても良いんですけれど、これが最後、ここから先がない、最終のという意味も入っているんですね。

 ですから、全世界が全て絶対的な意味をもつという事になるんです。

 相対的な何かによって、自分の欲求に関連して、肯定したり、否定したりするという事ではないという事ですね。と考えられているんです。

 だけど、こういう事を1人間はし続けられないんですね。何故かという、欲もあれば、色々ありますからね。でも理想として、理念としては、そういう風に宗教学者は提示してきたという事ですね。

【2021/11/01 14:37】 | イエス学とは | page top↑
人生学

 ちょっと脱線なんですけれど。

僕が永遠という言葉に最初に出会った時は、宗教じゃないんです。何処で出会ったかというと、日本国憲法の人権というところなんですね。これが最高の法規で、これ以上の法規がない。全部の法はこれによって、これを基準によって決定される。これに反するものは、全て法として成立しないと書いてあるんですね。

 

 人権とは、長い歴史の苦闘の末に与えられてきた、獲得されてきたものですね。この人権は、現在の世代だけではなく、将来の世代に渡って、永遠にして神聖不可侵なものとして、真に受託されていると言うんですね。永遠が出てきて、私はその頃、子供心にすごいなあと思ったんですね。それで探究心が出てきて、それは何処からきたのかというのは、キリスト教に最初に関心を持つ始まりだったんですね。yasumaro202d (2)
【2021/09/17 14:20】 | イエス学とは | page top↑
コーリング
 そういう訳ですから、関わり方にあるんですね。
それが良いとか、悪いとかはちょっと置いてね。
極端に言えば、その真理に従って、日常生活の隅々まで一貫して行きたいと願って生きるという事ですね。
ですから宗教の極端な場合は、少なくとも生死を賭けるという形を取る訳です。
ですから、その為に死する事もいとわないという訳ですね。
ですから、カトリックで殉教というのは、キリスト教でも殉教というのは、最も高い生き方。現代人は、自分の生を保つ事が最も高い価値ですから、これに対して、例えば、臓器移植の問題にしても、宗教の観点から見ると、何故そこまでして、人の臓器までもらって生きる気になるのかという批判は起こりうるんです。
それは良いという前提にはならないんですね。
自分の死を、運命をしっかり引き受けて、意味あるものとして死にきるという事が課題だという風に考えている人だっている訳ですね、宗教サイドはね。
だから臓器移植に反対するという仏教者も、キリスト教者もいる訳です。
こういう点も、宗教の世界が開けてくると、自分の死を超える意味というのが、問題になっている訳ですから、それをキリスト教だったら永遠の命とか、そういう風に書いてある訳です。
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2021年10月17日 10:30~
研究発表大会を開催します。
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【2021/09/08 16:38】 | イエス学とは | page top↑
宗教と科学

 私から見れば、現代人の宗教は科学技術教という宗教に、みんなが囚われているというか、そこを信用しているんですね。ですから、人間が自分の存在の価値付けというものに、関わるものは、みんな宗教性を帯びてくるわけです。科学というのは、そういう価値判断ではなくて…

 小学校では学力とか、これは社会的に価値あるものを追求して、それによって自分の存在を価値付けようという試みだという風に、確か後期の時にお話したように思いますね。自己評価の試みとして。それから高校、大学の時には芸術や、学問という文化です。少し世俗を超えるんですけれど、そういう試みですね。私の中に宗教的なところがありますから、それを集中する時には、ひたすらそれをやる訳ですね。徹底的にね。それから会社に入ってからは、プロデューサーとしてきちっと収支を合わせなければならないですね。ですから経営をしなければならないですから、経済の問題です。それと同時に、その番組の政治的な意味というのは、人々に与える影響を、常に考えて暮らしていましたから、政治、宗教、文明とか、そういうものによって自分の存在を意味付けようとした訳ですね。と、今から見ればなんですよ。その当時は、そこが分からないから、次から次へと新しいものにぶつかって、自分を賭けていくという形で追求していったんです。でも何処かで充足しないというのを感じて、より高いものと思われるものに移って行った訳ですね。そして最後が道徳的なものに自分を賭けた訳です。それが心理療法家として実践したということは、この間、お話しましたし、古希の記念論文集に書いてありますから、お読みになると、大体はその通りですからね。

【2021/07/09 12:00】 | イエス学とは | page top↑
宗教とは

 まず、宗教とは何か。これを広く、あらゆる宗教に当てはまる図式ですね。これを確定するというのが。つまり宗教と呼ばれる事柄、現象と、そうでない非宗教と呼ばれる現象は、きっぱり分けられないんですね。人間の関わり方、生き方が、どう違うのか。いわば宗教の本質ですね。宗教と言われる現象の中に含まれている事を明らかにしたい。ただ宗教のように見えていても、宗教でないものというのは、幾らでもあります。宗教性を帯びているものですね。


2021夏期研修会のお知らせ

【2021/06/15 16:06】 | イエス学とは | page top↑
コーリング

 ここでは、祈りに焦点が合っていますから、もう少し枠を広げて、宗教が抱えている問題性ですね。でも人間は宗教的な存在なんですね。

 でも、既成の宗教には入れない。つまり、宗教といっても、キリスト教とか、仏教とか確立された宗教です。それと新宗教というのはありますね。

天理教とか。戦後には、新進宗教が現れてくるわけです。数多くの宗教が現れて、自由競争している訳ですね。

 それに対しても、セルフ・カウンセリングはどういう位置付けにあるのかという事も、お話しておくのが良いという風に思いました。そんな訳で、今日、お話しようと思っていますが、本当は一つのテーマに一回ずつかけていくのが良いんですけれど、そうすると、私は必要不可欠だと思う話す事のテーマが10くらいはあるんですね。

 必要とあれば、その問題を伸ばしていて良いと思うんですね。

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【2021/05/25 16:15】 | イエス学とは | page top↑
宗教と科学
私の教え子の中に、一人、すごく哲学に関心があって、哲学書を読むと不安になるらしくて、僕のところに来て、これはどう思うかと聞く訳です。
私は昔、その本は読んでけれど。ずっと聞かれるということがあって、この際、彼が自己発見学校に出ますというので、その中で少し触れておこうと思って、現代の何が思想的なもので、どうして起こっているのか、究極的な原因とか、条件は、どういうことから起こってくるのか、それを乗り越える道はありえるのか。
究極的な意味が見失われちゃった。
だから根無し草になってくるんですね。
それをセルフ・カウンセリングは乗り越えるということで、私が作り出されたもので、時代の要求に答えるものだという事を説明したんですね。
歴史的背景が分かったので、とても良かったという事でした。
自己発見学校での話でしたから、自己発見学を何故私が作り出したか。
それを私がなぜ、伝えるようにするのかという視点でお話をしました。

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お知らせ
2021年6月26日 大阪研究発表大会が行われます。
詳しくは こちら をご覧ください
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【2021/05/10 17:43】 | イエス学とは | page top↑
コーリング

皆さん方は、宗教学という学問を取ったことがありますか。ないと思いますね。何故ならば、ミッション系だったら、そういう学問を置く必要はないんですね。相対化されるわけですから、沢山のうちの一つですからね。大抵は置いていないんですね。仏教関係の大学には置いてあるけれど、立正大学でも置いてなかったですね。

 

 そういう訳で、宗教というものを、どうやって宗教学者達が理解しようとしてきたか。また、私はその中で、それを理解した上で、そういう問題意識に上に立って、従来の宗教を越えるものとして、セルフ・カウンセリング。自己形成史分析というものを位置付けているんですね。そういうことがあるので、まずは通常、学問として宗教が理解されてきたかという事をお伝えして、勿論、解釈も様々です。でも大多数の人が、こうではないかという事を、ちゃんと皆さんにお伝えして置きたいと思います。膨大なものですから、私が必要不可欠なものと思ったものを選んでお伝えして、その上で、セルフ・カウンセリングとの関連とちらっと示唆する。何処に出口があるかという事ですね。

 

【2021/04/15 16:21】 | イエス学とは | page top↑
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